日常劇場
十五年もの熟成期間
本日は車検に向けての愛車の入庫日でした。
何だかんだいって、今回で七回目を数える車検ということに
なりますので、今月末を以て、丸十五年の付き合いを跨ぐことに・・。
幸い、オーナーとは正反対な運の持ち主だったのか、エンジンは
勿論、電気系統や車軸関連、エクステリア全般に於いても、さしたる
大病を患うこともなく、我儘なオーナーとの付き合いにも耐えてくれ
たことを心より有難く思うし、暫くは手放す気の毛頭もありません。
納車日こそ、「ノンシンクロなのかっ?!」ってくらいの勢いで、入り
難いローギアに手こずってしまって、交差点で立ち往生してみたりも
したけれど、今となっては或の日こそが十五年もの熟成期間の始まり
だったのだとも思えるし、まさか或の当時付き合っていた彼女と結婚
する未来が待ち受けているとは思っていなかった処か、離婚にまで至
るなどとは露にも思ってもいなかった訳ですから、人生は本当に面白い。
まぁ、それでも、新車からのワンオーナーで旧車まで育て上げたいと
いった古くからの私の夢が、一つ叶いつつもあるわけですから、人生も
捨てたものではないと申しますか、良きも悪しきも五分五分ということで。
欧州車は壊れやすいというイメージが相変わらず世間に纏わりついて
離れないようですが、私の経験上からすれば、欧州車は極めて頑丈な
代物ですし、メンテナンスさえ怠らなければ恐るには足りません。
そして、欧州車にとって、頑丈に最たるパーツが、「デザイン」である
ということもまた魅力の一つであることも捨て難い理由でもあるのです。
なぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んて、ここぞとばかりに
親馬鹿ならぬ「オーナー馬鹿」っぷりを露呈してみたりして(笑
何だかんだいって、今回で七回目を数える車検ということに
なりますので、今月末を以て、丸十五年の付き合いを跨ぐことに・・。
幸い、オーナーとは正反対な運の持ち主だったのか、エンジンは
勿論、電気系統や車軸関連、エクステリア全般に於いても、さしたる
大病を患うこともなく、我儘なオーナーとの付き合いにも耐えてくれ
たことを心より有難く思うし、暫くは手放す気の毛頭もありません。
納車日こそ、「ノンシンクロなのかっ?!」ってくらいの勢いで、入り
難いローギアに手こずってしまって、交差点で立ち往生してみたりも
したけれど、今となっては或の日こそが十五年もの熟成期間の始まり
だったのだとも思えるし、まさか或の当時付き合っていた彼女と結婚
する未来が待ち受けているとは思っていなかった処か、離婚にまで至
るなどとは露にも思ってもいなかった訳ですから、人生は本当に面白い。
まぁ、それでも、新車からのワンオーナーで旧車まで育て上げたいと
いった古くからの私の夢が、一つ叶いつつもあるわけですから、人生も
捨てたものではないと申しますか、良きも悪しきも五分五分ということで。
欧州車は壊れやすいというイメージが相変わらず世間に纏わりついて
離れないようですが、私の経験上からすれば、欧州車は極めて頑丈な
代物ですし、メンテナンスさえ怠らなければ恐るには足りません。
そして、欧州車にとって、頑丈に最たるパーツが、「デザイン」である
ということもまた魅力の一つであることも捨て難い理由でもあるのです。
なぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んて、ここぞとばかりに
親馬鹿ならぬ「オーナー馬鹿」っぷりを露呈してみたりして(笑
音楽のちから・・・
ごぉーるでぇんえぃじ・・・
Diana King - Shy Guy
Scatman John - Scatman (Ski-Ba-Bop-Ba-Dop-Bop)
1995年・・・一人の日本人メジャーリーガーの開拓者によって
LAドジャー・スタジアムに、いや全米にトルネード旋風が吹き荒れて
いた或の頃に、ラジオをつけても街を歩いているだけでも否が応にも
聴かされ続けていた此の二曲も今となっては何だか懐かしい限り・・。
関連記事
動かざる真実と立ちはだかる固定概念
寡黙な限りの同い歳の男が海外で圧巻の活躍する一方で、或の頃
の私はといえば、持ちたてホヤホヤの携帯電話をいいことに、埠頭
でのポケベル軟派に寝る間を惜しんで勤しんでいただなんて、今と
なっては赤面に値するエピソードでしかないことは言うまでもなく(笑
まぁ、元がチャランポランなもんで、此ればっかりは致し方ありませ
んが、1995年は私にとっても或る意味ビィンテージでもありましたので。
Scatman John - Scatman (Ski-Ba-Bop-Ba-Dop-Bop)
1995年・・・一人の日本人メジャーリーガーの開拓者によって
LAドジャー・スタジアムに、いや全米にトルネード旋風が吹き荒れて
いた或の頃に、ラジオをつけても街を歩いているだけでも否が応にも
聴かされ続けていた此の二曲も今となっては何だか懐かしい限り・・。
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動かざる真実と立ちはだかる固定概念
寡黙な限りの同い歳の男が海外で圧巻の活躍する一方で、或の頃
の私はといえば、持ちたてホヤホヤの携帯電話をいいことに、埠頭
でのポケベル軟派に寝る間を惜しんで勤しんでいただなんて、今と
なっては赤面に値するエピソードでしかないことは言うまでもなく(笑
まぁ、元がチャランポランなもんで、此ればっかりは致し方ありませ
んが、1995年は私にとっても或る意味ビィンテージでもありましたので。
髄筆備忘録
愛玩の先にまで在る人間の身勝手の果て
そういえば、ペットフードの糖質含有量とは如何ほどなのだろう?!
といった疑問が湧いたのは、本日の食糧の買い出し先での事でした。
というわけで、普段は立ち寄ることのないペットフードコーナーにて
成分表を確認してみて廻ったところ、驚いたことに殆どの商品といい
ますか、全ての商品に於いて炭水化物の表記が成されてはおりません。
でもって、軽く検索を掛けてみたところ、此処にも人間界の糖尿病の
パンデミックと同等の業界の思惑を垣間見る破目になってしまいまして。
参考資料
http://www.rakuten.ne.jp/gold/nmwstore/info14.html
私は、上記リンクのメーカーさんの廻し者では決して在りませんが、
若干の根菜類を使用している等のいただけない面は別にしてみても、
此のメーカーさんが何を言わんとしているのかは十二分に理解出来ます。
しかしながら、ペットフードの費用を抑えたかったり、なるべくなら
保存を長引かせたかったりの極一般的な認識からすれば、恐らく現実
からは逃避したいばかりの遮蔽的思考が作用して、こういった全うな
意見は、ともすれば宗教的な啓発論にも捉われざるを得ないのでしょう。
まぁ、そういった意味では人間界での糖質制限への認識と、かなり
似通った由々しき事態をペットフード業界も抱えている訳なんですが。
穀類の摂取など想定外に過ぎなかった人類と同様に、地球上のペット
の代表格である犬や猫の本来の食性は肉食であることに間違いはあり
ませんし、本来の食性を外れれば代謝が破綻に至るのも当然の結果。
そもそも猫に小判だけならまだしも、猫が肥満に陥るなど異様な光景
でしかありませんし、人間の身勝手が齎した醜い弊害でしかありません。
可愛いからだとか、癒されたいからだとかの身勝手が過ぎる欲望を
振り翳したばっかりの挙句の果てに、餌に掛かる費用に経済を圧迫
されてしまった元の木阿弥の短絡で、犬や猫の本来の食性から逸脱した
炭水化物塗れの安上がりの選択に及んだ一体どの口が、動物愛護の精
神を語るのかが理解出来ないし、其れ等は寧ろ虐待でしかないのです。
穀類をニッチとする齧歯類ならまだしも、本来食性が肉食に違いない
犬や猫の日常食に際して、炭水化物含有量の表記が義務付けられてい
ないという現状には納得がいかないのと同時に、逆の視点からしてみ
れば、ペットの健康を一番に願うべき存在である筈の飼い主の認識に
於いて、炭水化物の含有量などは蚊帳の外でしかないことを物語って
いるに他ならないのであろう現実が、正直哀しい限りでしかありません。
私には、ペットを飼った経験は殆どありませんが、幾ら愛玩動物とは
いえどもで、人間の身勝手ばかりで取り扱ってはいけない命であると
いうことまでは理解出来ているつもりですし、命は玩具とは違います。
ましてや、営利の都合で弄ばれるべき命では決してありませんし、そう
いった意味では人間が悩まされる一方の糖尿病の問題とさして変わり
はないどころか、理解ある者が正すべき襟の乱れに他ならないでしょう。
何れにしろ、医食同源の根本が本来の食性への回帰との勝手な解釈
をさせていただけるとするならば、薬の処方をしたいが為の既存の
医療側の思惑と、少しでも食費を浮かせたかったり、糖質への依存の
継続が叶うと言った患者側の思惑といった双方のメリットを、互いの
責任の置き処も明確にしないまま続けた果ての顛末の悲劇を、人間側
が教訓として取り扱えない限り、人類と同じ肉食ニッチのペット達に
飛び掛かる火の粉を払拭出来る日は、遠ざかるでしかないのだけれど。
といった疑問が湧いたのは、本日の食糧の買い出し先での事でした。
というわけで、普段は立ち寄ることのないペットフードコーナーにて
成分表を確認してみて廻ったところ、驚いたことに殆どの商品といい
ますか、全ての商品に於いて炭水化物の表記が成されてはおりません。
でもって、軽く検索を掛けてみたところ、此処にも人間界の糖尿病の
パンデミックと同等の業界の思惑を垣間見る破目になってしまいまして。
参考資料
http://www.rakuten.ne.jp/gold/nmwstore/info14.html
私は、上記リンクのメーカーさんの廻し者では決して在りませんが、
若干の根菜類を使用している等のいただけない面は別にしてみても、
此のメーカーさんが何を言わんとしているのかは十二分に理解出来ます。
しかしながら、ペットフードの費用を抑えたかったり、なるべくなら
保存を長引かせたかったりの極一般的な認識からすれば、恐らく現実
からは逃避したいばかりの遮蔽的思考が作用して、こういった全うな
意見は、ともすれば宗教的な啓発論にも捉われざるを得ないのでしょう。
まぁ、そういった意味では人間界での糖質制限への認識と、かなり
似通った由々しき事態をペットフード業界も抱えている訳なんですが。
穀類の摂取など想定外に過ぎなかった人類と同様に、地球上のペット
の代表格である犬や猫の本来の食性は肉食であることに間違いはあり
ませんし、本来の食性を外れれば代謝が破綻に至るのも当然の結果。
そもそも猫に小判だけならまだしも、猫が肥満に陥るなど異様な光景
でしかありませんし、人間の身勝手が齎した醜い弊害でしかありません。
可愛いからだとか、癒されたいからだとかの身勝手が過ぎる欲望を
振り翳したばっかりの挙句の果てに、餌に掛かる費用に経済を圧迫
されてしまった元の木阿弥の短絡で、犬や猫の本来の食性から逸脱した
炭水化物塗れの安上がりの選択に及んだ一体どの口が、動物愛護の精
神を語るのかが理解出来ないし、其れ等は寧ろ虐待でしかないのです。
穀類をニッチとする齧歯類ならまだしも、本来食性が肉食に違いない
犬や猫の日常食に際して、炭水化物含有量の表記が義務付けられてい
ないという現状には納得がいかないのと同時に、逆の視点からしてみ
れば、ペットの健康を一番に願うべき存在である筈の飼い主の認識に
於いて、炭水化物の含有量などは蚊帳の外でしかないことを物語って
いるに他ならないのであろう現実が、正直哀しい限りでしかありません。
私には、ペットを飼った経験は殆どありませんが、幾ら愛玩動物とは
いえどもで、人間の身勝手ばかりで取り扱ってはいけない命であると
いうことまでは理解出来ているつもりですし、命は玩具とは違います。
ましてや、営利の都合で弄ばれるべき命では決してありませんし、そう
いった意味では人間が悩まされる一方の糖尿病の問題とさして変わり
はないどころか、理解ある者が正すべき襟の乱れに他ならないでしょう。
何れにしろ、医食同源の根本が本来の食性への回帰との勝手な解釈
をさせていただけるとするならば、薬の処方をしたいが為の既存の
医療側の思惑と、少しでも食費を浮かせたかったり、糖質への依存の
継続が叶うと言った患者側の思惑といった双方のメリットを、互いの
責任の置き処も明確にしないまま続けた果ての顛末の悲劇を、人間側
が教訓として取り扱えない限り、人類と同じ肉食ニッチのペット達に
飛び掛かる火の粉を払拭出来る日は、遠ざかるでしかないのだけれど。
一言本音
子曰わく・・・・・
「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」だなんて、
よもやの私が一番に言えた義理ではありませんけれどもね(笑
よもやの私が一番に言えた義理ではありませんけれどもね(笑
糖質制限的思考
動かざる真実と立ちはだかる固定概念
メジャーリーグの公式戦で日本人として初めてホームランを
放った人物が誰であるのかを皆様は即答する事が出来るでしょうか。
恐らく返答の殆どが「そんなもんイチローに決まってんだろが」
とか、「松井(秀)で間違いないでしょう」とか、或いは少数意見を
拾い上げてみたところで、余程のマニアでもない限り、精々「新庄」
や「松井(稼)」の名前が出てくるまでに留まるのが関の山でしょう。
しかしながら、此の問いの正解は実に意外なものでして、
日本人として初めてメジャーリーグでホームランを打ったのは
何を隠そう日本人メジャーリーガーの先駆者である野茂英雄・・・。
1998年4月28日の対ブルワーズ戦での7イニングめに、自らで放った
本塁打に、試合中は滅多に笑顔を見せることのない野茂の照れ臭そう
な笑みを、ソファーに寝転がりながらBS-1のライブ中継を通してリア
ルタイムで見ていた私にとって、同い歳(同学年)が海外で活躍する
姿が眩し過ぎるにも程があったし、懐かしいワンシーンであったりも。
勿論、当時在籍していたLAドジャースがナショナルリーグに属して
いたからこそで打席に立つ機会に恵まれていたという確率論も強ち
否むことは出来ませんが、だからといってナ・リーグの投手の全員
が本塁打を記録しているわけではありませんし、そもそも7イニング
めの打席に先発投手が立っている時点で、好投を意味しているわけで
すから、一概には偶然とはいえない実力な招いた結果ともいえるのです。
まぁ、何はともあれ、両リーグを通じてノーヒットノーランを達成
してみたり、これまた圧巻のイニングオーバー奪三振記録など、今更
説明するまでもない輝かしい実績の裏に、あまり語られることのない
日本人メジャーリーガーの初本塁打の快挙も潜んでいたということで。
冒頭に示しました通り、日本人メジャーリーガーの初本塁打は誰か
と問われれば、大抵の人が「イチロー」選手や「松井(秀)」選手の
名前を真っ先に思い浮かべてしまうように、人間というものは得てし
て単純な生き物でもありまして、世に溢れている情報ばかりに捕らわ
れる余りに、自らを固定概念で縛りつけてしまうような愚かな行動を
繰り返した挙句の果てで、記憶には乏しいばかりの真実などは脳裏の
奥底に押しやって、事実からは目を背ける癖を身に付けてしまいます。
糖尿病罹患の例を一つにとってみても、糖尿病が発覚するまでの間中、
熱量の過多が最大の要因であるだとか、欧米型の食事にスイッチした
ことが問題であるだとかの実しやかな情報の氾濫が招いた結果で健常
であった頃から既に固定概念の鎖に縛られてしまっている訳ですから、
罹患者の殆どが既存の医療の指導を信じ込んでしまうのに無理もあり
ませんし、患者が疑わずしてきた事を目の前に居る主治医が証明して
くれているという安心感は、思い込みに拍車を掛けるに十分に有り余る。
固定概念というものが、目から落ちるに容易い鱗の如しならまだいい
のですが、雁字搦めの固定概念の鎖というのは、鱗どころか其れこそ
鮫肌のようなものでもありまして、幾ら真実が歩み寄ってみたところ
で、擂り下ろされた粉々に飛び散って無かった事にされるのが関の山。
何れにしろ、常識を御手本にしたに過ぎない固定概念の鎖に
縛られてしまったら最期、そんな浅はかな選択に至った人達には
真実を今更掘り起こすまでの余力など恐らく残存してはおりません。
此れこそが自分自身の以外に責任を転嫁しようとした弊害であり
自己の責任を放棄した者への当然の報いでしかありませんが・・・。
真実を知る側に棲む我々が今後も心掛けるべき唯一は、あくまでも
自己の責任の下で、自身が選択した道を歩んで行く決意を改めるに
他ならず、誰かに責任を依存するなどは以ての外に過ぎないのです。
放った人物が誰であるのかを皆様は即答する事が出来るでしょうか。
恐らく返答の殆どが「そんなもんイチローに決まってんだろが」
とか、「松井(秀)で間違いないでしょう」とか、或いは少数意見を
拾い上げてみたところで、余程のマニアでもない限り、精々「新庄」
や「松井(稼)」の名前が出てくるまでに留まるのが関の山でしょう。
しかしながら、此の問いの正解は実に意外なものでして、
日本人として初めてメジャーリーグでホームランを打ったのは
何を隠そう日本人メジャーリーガーの先駆者である野茂英雄・・・。
1998年4月28日の対ブルワーズ戦での7イニングめに、自らで放った
本塁打に、試合中は滅多に笑顔を見せることのない野茂の照れ臭そう
な笑みを、ソファーに寝転がりながらBS-1のライブ中継を通してリア
ルタイムで見ていた私にとって、同い歳(同学年)が海外で活躍する
姿が眩し過ぎるにも程があったし、懐かしいワンシーンであったりも。
勿論、当時在籍していたLAドジャースがナショナルリーグに属して
いたからこそで打席に立つ機会に恵まれていたという確率論も強ち
否むことは出来ませんが、だからといってナ・リーグの投手の全員
が本塁打を記録しているわけではありませんし、そもそも7イニング
めの打席に先発投手が立っている時点で、好投を意味しているわけで
すから、一概には偶然とはいえない実力な招いた結果ともいえるのです。
まぁ、何はともあれ、両リーグを通じてノーヒットノーランを達成
してみたり、これまた圧巻のイニングオーバー奪三振記録など、今更
説明するまでもない輝かしい実績の裏に、あまり語られることのない
日本人メジャーリーガーの初本塁打の快挙も潜んでいたということで。
冒頭に示しました通り、日本人メジャーリーガーの初本塁打は誰か
と問われれば、大抵の人が「イチロー」選手や「松井(秀)」選手の
名前を真っ先に思い浮かべてしまうように、人間というものは得てし
て単純な生き物でもありまして、世に溢れている情報ばかりに捕らわ
れる余りに、自らを固定概念で縛りつけてしまうような愚かな行動を
繰り返した挙句の果てで、記憶には乏しいばかりの真実などは脳裏の
奥底に押しやって、事実からは目を背ける癖を身に付けてしまいます。
糖尿病罹患の例を一つにとってみても、糖尿病が発覚するまでの間中、
熱量の過多が最大の要因であるだとか、欧米型の食事にスイッチした
ことが問題であるだとかの実しやかな情報の氾濫が招いた結果で健常
であった頃から既に固定概念の鎖に縛られてしまっている訳ですから、
罹患者の殆どが既存の医療の指導を信じ込んでしまうのに無理もあり
ませんし、患者が疑わずしてきた事を目の前に居る主治医が証明して
くれているという安心感は、思い込みに拍車を掛けるに十分に有り余る。
固定概念というものが、目から落ちるに容易い鱗の如しならまだいい
のですが、雁字搦めの固定概念の鎖というのは、鱗どころか其れこそ
鮫肌のようなものでもありまして、幾ら真実が歩み寄ってみたところ
で、擂り下ろされた粉々に飛び散って無かった事にされるのが関の山。
何れにしろ、常識を御手本にしたに過ぎない固定概念の鎖に
縛られてしまったら最期、そんな浅はかな選択に至った人達には
真実を今更掘り起こすまでの余力など恐らく残存してはおりません。
此れこそが自分自身の以外に責任を転嫁しようとした弊害であり
自己の責任を放棄した者への当然の報いでしかありませんが・・・。
真実を知る側に棲む我々が今後も心掛けるべき唯一は、あくまでも
自己の責任の下で、自身が選択した道を歩んで行く決意を改めるに
他ならず、誰かに責任を依存するなどは以ての外に過ぎないのです。
髄筆備忘録
ばぁろめぇーたぁー・・・

使い廻し画像にて恐縮の限りではありますが、今宵は久し振り
に九個焼きを酒のアテとして堪能させていただきましたる所存にて♪
兼ねてより申し上げて参りました通り、私が玉子焼きを食べたくなる時
って経験上、大抵の場合は無意識に疲れを感じているサインだったりも。
まぁ、引き摺っていない素振りを懸命にしてみたところで、
其処は女々しい限りの私めのことでありますから、其処らかしこに
滲み出てしまってもいるのだろうし、否むつもりの毛頭もありません。
ただ、現在はダラダラと引き摺る以外に術を見い出せないにしても、
奴がついた最低の嘘と、管理人として有るまじき行為を施した事実を
指摘もせずに見過ごしたままで、取り繕うばかりの関係を無理矢理に
続けてしまった未来の顛末と、奴との決別は勿論、其れ等に伴う沢山
の大切なものを失う覚悟を以てして下した決断の先にある未来を天秤
に掛けたとき、私が下した判断に間違いはなかったであろう自信だけ
は何故かは知らねどの根拠はなくともで湧き出ているのは確かです。
それでも、元より心の何処かに愚痴を書き綴りたくて始めた
当ブログでもある筈なのに、奴に関する愚痴を書き綴る度に、こんな
にも心苦しくなってしまうのは、歪みきった責任の転嫁の倫理違反に
よって、結局のところは奴のブログを潰した張本人が私であることの
史実しか、後世には残り得ない事への憤りの顕れなのかも知れません。
此処最近ときたら、低気圧が過ぎる個人的な感情のバロメーターの
露呈を文脈の端々に鏤めているばかりでしかなくて、読者の皆様方
には其れこそ不快な御目汚しを強いてしまいまして申し訳ありません。
そういった意味では、私の方こそが最低の人間と呼ばれるべきでも
あるのでしょうが、一介のブログの管理人としては、管理人にしか
知り得ない情報の公開は決して敢行しない構えであることは、開設
当初からの初心の貫徹の表明からは微動だにしていないことに一切の
変化も有り得ませんし、所在地と実名を知り得たからといって、義捐
の小額さを「赤字」で嘲笑ったうえで、誰なのかを仄めかしてしまう
ような最低な行為に及ぶことは、人間としても多分ないでしょうね。
と、言いますか、幾ら仲が良かろうとも、御家庭を御持ちの女性の
電話番号や住所をバツイチの独身であろうともの男性側から知ろう
とする感覚など、私には理解しかねますし、信頼に値するコミュニケ
ーションの一環であろうとも、越えるべき一線では決してありません。
まぁ、ほんの一例で、或る方からグリコのカロリーコントロールカレー
の試食を執拗に迫られて折れてしまった場合を除いては、既婚女性への
コンタクトを例えメールアドレスを知り得たとしても、必要最低限に抑
えてきた事実はあっても、当ブログのコメント欄にてオープンないしは
非公開に徹しても連絡事項の殆どが叶ってしまう訳なのですから、何を
包み隠す必要も一切なければ、必要以上を知る事の一切もないのです。
何だかんだ言ってもの何れにしろで、関係各位の殆どのブログが
消去されているなり、閉鎖に近いカタチのパスワードで保護されている
現状である以上、楽しい思い出が詰まっているコミュニティーを崩壊に
まで陥らせてしまったのは、他ならない私であるという史実しか残らな
いのが現実でしかないのだろうし、今更、或の日に何があったかの確認
すらも、パスワードの配布もされていなければ至れることもないんだな。
何を卑怯と呼ぶのかは、読者の誰にも委ねたりする気の一切もない
ままで、恐らく私が判断するしかないのだろうけれど・・・何だろう、
私が罪を被るまではいいとしても、嘗て相互リンクを貼っていた先の
判断で、コメントを受け付けていなかったり、一年以上の長きに渡り、
更新を止めているブログに関して、リンクを外した判断に罪を問うの
だとしたら、其れ等を私に被せる事などは随分と御門違いな事でして。
まぁ、今日のところは愚痴を吐くにも短しに留めておいての何れに
しろで、随分と心境の低気圧のダメージを受けているでしか無いよな
バロメーターの露呈に終始するでしかないのだけれども、此処で一つ
だけ言えることは、管理者だからこそ知り得た事実を、管理者だから
こその理性で思い留まることの大事さを切に思い知る他はありません。
どうか、私が其の道を外れてしまったなら、叱責の雷(いかづち)を
浴びせられるがままに、平伏するに値する存在が聳え立つことを祈り
つつ、今夜ばかりは疲れた身体を横たわれさせたい限りに御座います。
とはいえ、尻尾を巻いて逃げるような真似は絶対にしないだろうけど。
髄筆備忘録
適度な湿度の匙加減
適度に夜も深まりましたが、ファンヒーターを焚いてしまったら、
寝室も兼ねたリビングがカピカピに乾いてしまうということなので、
此の時間まで、何とか節電節油モードは継続中に御座いまして・・・。
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あんでゅれぇいしょん・・・
びしょ濡れてしまったら、適度に乾くのを待てばいいのだろうし、
逆に乾ききってしまっていたとしても、程良く湿るのを待てばいい
だけの話なんだろうけれども、やはり匙加減が上手くいかないや・・。
こんな孤独だなんて、現在(いま)に始まったことでもないのに、
寂しかったりするのは一体何故なんだろうかまでは自身も知り得ない。
何だかんだで夜中の戯言に過ぎない事が、何だか申し訳ないけれど。
寝室も兼ねたリビングがカピカピに乾いてしまうということなので、
此の時間まで、何とか節電節油モードは継続中に御座いまして・・・。
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びしょ濡れてしまったら、適度に乾くのを待てばいいのだろうし、
逆に乾ききってしまっていたとしても、程良く湿るのを待てばいい
だけの話なんだろうけれども、やはり匙加減が上手くいかないや・・。
こんな孤独だなんて、現在(いま)に始まったことでもないのに、
寂しかったりするのは一体何故なんだろうかまでは自身も知り得ない。
何だかんだで夜中の戯言に過ぎない事が、何だか申し訳ないけれど。
糖質制限的思考
あんでゅれぇいしょん・・・
昨日の陽気とは打って変わって三月下旬並みに冷え込んだ当地。
思わずファンヒーターを焚きたい衝動に駆られてしまいましたが、
其処は節電の意識に喰い留まらせていただきました苦肉の策で、上下
のインナーを着込んで凌いではいるのですが、さすがに夜が深まるに
つれて此れ以上に低温も深まるのであれば、ファンヒーターに頼るか
否かと悩まない自信はないということで、あくまで予定の域を出ませ
んが、今夜は早目に眠ることも視野にいれている所存に御座います。
それにしたって、三年前の大型連休中の桜の満開の最中に大雪が
降って、違った意味で観光客を魅了したというニュースが新聞の一面
を賑わしていたのが記憶に新しいとはいえ、五月も中旬に差し掛かろう
としている此の時期に雪でも降りそうな勢いの冷え込みを体感した記憶
は自身の生涯に於いて皆無でしかありませんし、最近の日本列島の大気
の不安定さには一抹の不安を感じざるを得ないのと同時に、天候という
我々には制御不能な不可抗力に成す術もなきを実感せざるを得ません。
とはいえ、温度差という体感を伴うアンデュレーションの落差なら
多少の差はあるといえども、多めに着込むなどの対策を講じれば大抵
の場合で対処は叶う訳ですし、予後の調整も、いとも簡単に出来てし
まうという意味に於いては恐るに足らないとも言えることでしょう。
しかしながら、既存の医療の方針から抜け切ることが叶わない多くの
糖尿病患者達の殆どは、別段の自覚症状も無いままに、血糖値昇降の
落差の大きさに余るアンデュレーションの乱高下を徒に繰り返させられ
てきた挙句の果てで、もう取り返しのつかない場所にまで此の瞬間の今
も尚、追い込まれている現実は、恐れるべきに最たる事でもあるのです。
未だに既存の医療側が推奨に値すると絶賛し続ける熱量制限と、
生化学上の変え難い事実に他ならない糖質制限の間に立ち聳えるがは、
アンデュレーションの落差どころの騒ぎではない垂直な壁に過ぎません。
多くの患者が間違いだらけの巣窟に過ぎない熱量制限に懸命に縋り
ついている本当の理由は、糖尿病の罹患をきっかけにして自身の健康
というものを本気で留意し始めたからこそだからとか、人類本来の食性
である、植物由来の食事療法に魅力を感じたからとかの嘘っぱちなんか
では決して無くて、表立った自覚症状がないのをいいことに、思いの他
制限を施されることのなかった糖質への依存を継続したいだけなんだ。
言い換えれば、個人差の如何程までをも知れぬ薬剤の副作用などは
何処吹く風で、実際の処は日に三度の糖質の摂取が主治医の指導と
いう大義名分のうえで容易く叶ってしまう極楽に棲みたいだけに他なら
ないし、糖質塗れの安上がりな食生活を薬剤の過剰投与といった医療費
というカテゴリーで埋め合わせようとする為の元の木阿弥に過ぎません。
いまの未だに、糖質制限が洗脳の賜物であるという揶揄の風潮が
鳴り止むこともない現状であることに、さして変わりもありませんが、
私から言わせて貰えば、医療と患者の双方で責任の転嫁を繰り返すで
しかないばかりの熱量制限の伝家の宝刀の方が、医師と患者の互いの
交換条件を満たしたいが為だけの洗脳にしか見えないのは勿論のこと、
合併症に足を踏み入れてしまったら最期、医師のみにだけ有利でしか
ないシナリオが既に書き上げられてしまっている茶番劇に他ならない。
何れにしろ、私の体内に限っては、血糖値の乱高下という落差の上限
の深刻さたるがが、皆無に近付きつつあることに間違いはないでしょう。
一方で、SMBG環境の処方などは不要と見なされた同病者の殆どは、
熱量制限の闇雲が祟った結果で日常的に体内で起きている自覚症状を
伴う事の一切もない血糖値のアンデュレーションに晒された処で、主治医
を信じるが余りの脳内の楽園で、涼しい顔をして過ごさざるを得ません。
まぁ、幸福論からすれば、どちらが幸せで在るのかは一概には言いきる
事は出来ませんが、何一つの事実の欠片すら知らされる事も無いままに
血糖値の乱高下の回避が叶う筈など無い高糖質食を日常的に処方され
てしまう安堵感と、糖質のみが血糖値の上昇に関与する唯一無二の要素
であることを知ったうえで原因の遮断に勤しみながらも生じ得る、様々な
葛藤に苛まれる日常の、一体どちらが幸せなのかは今更言うまでもなく。
其れこそ、熱量の摂取には際限のない私が言えた義理ではないのかも
知れませんが、常識的な見解だけに捕らわれてしまっているのならば、
私の食生活こそが、熱量のアンデュレーションに満ちた馬鹿の踊りに
過ぎないのだろけれども、内面的な血液データに於いては、其処いら
の健常者よりかは遥かに優秀である私の自負は、誰が説明し得るのか。
医療に従順することの何時の間にかで、不可抗力に匹敵するほどの
悪化への濁流に巻き込まれている等とは、よもやの誰しもが思いも
しない現実の闇の中で、今も尚、多くの患者が教育と称した入院先の
病床で合併症という滝壺の奈落に向かう急流に乗せられるでしかない
現状に際して、其れ等を糖質への止む無き依存の自業自得と呼ぶべき
なのかっ?!はたまた、闇雲にしか他ならない薬剤の処方の大前提の
御膝元に端を発したものであるのかは、誰の言及も叶う事はありません。
けれども、こちらから一つだけ確実に言えることは、我々の殆どが、
誰に責任を問うこともなくで現在に至り、誰に何を一切恥じることも
なくの自己判断の一点張りで、数値の善し悪しの責任を誰かの影響の
所為だとかに擦り付けない誓いが、唯一の誇りだったりもするのです。
思わずファンヒーターを焚きたい衝動に駆られてしまいましたが、
其処は節電の意識に喰い留まらせていただきました苦肉の策で、上下
のインナーを着込んで凌いではいるのですが、さすがに夜が深まるに
つれて此れ以上に低温も深まるのであれば、ファンヒーターに頼るか
否かと悩まない自信はないということで、あくまで予定の域を出ませ
んが、今夜は早目に眠ることも視野にいれている所存に御座います。
それにしたって、三年前の大型連休中の桜の満開の最中に大雪が
降って、違った意味で観光客を魅了したというニュースが新聞の一面
を賑わしていたのが記憶に新しいとはいえ、五月も中旬に差し掛かろう
としている此の時期に雪でも降りそうな勢いの冷え込みを体感した記憶
は自身の生涯に於いて皆無でしかありませんし、最近の日本列島の大気
の不安定さには一抹の不安を感じざるを得ないのと同時に、天候という
我々には制御不能な不可抗力に成す術もなきを実感せざるを得ません。
とはいえ、温度差という体感を伴うアンデュレーションの落差なら
多少の差はあるといえども、多めに着込むなどの対策を講じれば大抵
の場合で対処は叶う訳ですし、予後の調整も、いとも簡単に出来てし
まうという意味に於いては恐るに足らないとも言えることでしょう。
しかしながら、既存の医療の方針から抜け切ることが叶わない多くの
糖尿病患者達の殆どは、別段の自覚症状も無いままに、血糖値昇降の
落差の大きさに余るアンデュレーションの乱高下を徒に繰り返させられ
てきた挙句の果てで、もう取り返しのつかない場所にまで此の瞬間の今
も尚、追い込まれている現実は、恐れるべきに最たる事でもあるのです。
未だに既存の医療側が推奨に値すると絶賛し続ける熱量制限と、
生化学上の変え難い事実に他ならない糖質制限の間に立ち聳えるがは、
アンデュレーションの落差どころの騒ぎではない垂直な壁に過ぎません。
多くの患者が間違いだらけの巣窟に過ぎない熱量制限に懸命に縋り
ついている本当の理由は、糖尿病の罹患をきっかけにして自身の健康
というものを本気で留意し始めたからこそだからとか、人類本来の食性
である、植物由来の食事療法に魅力を感じたからとかの嘘っぱちなんか
では決して無くて、表立った自覚症状がないのをいいことに、思いの他
制限を施されることのなかった糖質への依存を継続したいだけなんだ。
言い換えれば、個人差の如何程までをも知れぬ薬剤の副作用などは
何処吹く風で、実際の処は日に三度の糖質の摂取が主治医の指導と
いう大義名分のうえで容易く叶ってしまう極楽に棲みたいだけに他なら
ないし、糖質塗れの安上がりな食生活を薬剤の過剰投与といった医療費
というカテゴリーで埋め合わせようとする為の元の木阿弥に過ぎません。
いまの未だに、糖質制限が洗脳の賜物であるという揶揄の風潮が
鳴り止むこともない現状であることに、さして変わりもありませんが、
私から言わせて貰えば、医療と患者の双方で責任の転嫁を繰り返すで
しかないばかりの熱量制限の伝家の宝刀の方が、医師と患者の互いの
交換条件を満たしたいが為だけの洗脳にしか見えないのは勿論のこと、
合併症に足を踏み入れてしまったら最期、医師のみにだけ有利でしか
ないシナリオが既に書き上げられてしまっている茶番劇に他ならない。
何れにしろ、私の体内に限っては、血糖値の乱高下という落差の上限
の深刻さたるがが、皆無に近付きつつあることに間違いはないでしょう。
一方で、SMBG環境の処方などは不要と見なされた同病者の殆どは、
熱量制限の闇雲が祟った結果で日常的に体内で起きている自覚症状を
伴う事の一切もない血糖値のアンデュレーションに晒された処で、主治医
を信じるが余りの脳内の楽園で、涼しい顔をして過ごさざるを得ません。
まぁ、幸福論からすれば、どちらが幸せで在るのかは一概には言いきる
事は出来ませんが、何一つの事実の欠片すら知らされる事も無いままに
血糖値の乱高下の回避が叶う筈など無い高糖質食を日常的に処方され
てしまう安堵感と、糖質のみが血糖値の上昇に関与する唯一無二の要素
であることを知ったうえで原因の遮断に勤しみながらも生じ得る、様々な
葛藤に苛まれる日常の、一体どちらが幸せなのかは今更言うまでもなく。
其れこそ、熱量の摂取には際限のない私が言えた義理ではないのかも
知れませんが、常識的な見解だけに捕らわれてしまっているのならば、
私の食生活こそが、熱量のアンデュレーションに満ちた馬鹿の踊りに
過ぎないのだろけれども、内面的な血液データに於いては、其処いら
の健常者よりかは遥かに優秀である私の自負は、誰が説明し得るのか。
医療に従順することの何時の間にかで、不可抗力に匹敵するほどの
悪化への濁流に巻き込まれている等とは、よもやの誰しもが思いも
しない現実の闇の中で、今も尚、多くの患者が教育と称した入院先の
病床で合併症という滝壺の奈落に向かう急流に乗せられるでしかない
現状に際して、其れ等を糖質への止む無き依存の自業自得と呼ぶべき
なのかっ?!はたまた、闇雲にしか他ならない薬剤の処方の大前提の
御膝元に端を発したものであるのかは、誰の言及も叶う事はありません。
けれども、こちらから一つだけ確実に言えることは、我々の殆どが、
誰に責任を問うこともなくで現在に至り、誰に何を一切恥じることも
なくの自己判断の一点張りで、数値の善し悪しの責任を誰かの影響の
所為だとかに擦り付けない誓いが、唯一の誇りだったりもするのです。
糖質制限的思考
花は愛でるに尊いけれど

桜の季節が刹那に終わった束の間で、早くも林檎の花が咲きました。
花までなら、愛でるに値する美しさも認めざるを得ませんが、
あと五ケ月もすれば、私のような惰弱な耐糖能者にとっては辟易の
対象に過ぎない果実と言う名の毒が撓(たわわ)とばかりに果樹の
枝をしならせてしまうのですから、当地の初夏の風物詩とはいえに
複雑な思いが過ってしまうと申しますか、糖尿病患者にとっては毒
でしかない代物の全国随一の生産地である当地にとって林檎の栽培
という産業を以てして食い繋がざるを得ない現状と、国民の健康へ
の悪影響を天秤に掛ける度に、申し訳ない思いに駆られてしまいます。
「一日一個の林檎が医者を遠ざける」だとか「トマトが赤くなると
医者が青ざめる」だとか、血糖値の上昇という健康被害に最たる現象
を伴う糖質含有量を無視しているばかりの認識が実しやかに言い伝え
られている昨今に於いて、有機栽培であれば尚良しの植物由来の甘み
なら大丈夫という風潮が広まりつつあることは言うまでもありません。
しかしながら、やれポリフェノールやらペクチンやらと騒いでみた
ところで、其れ等の有効成分を摂取する傍らに比例して高い糖質含有
が伴うのでしかないなら、滑稽が過ぎる元の木阿弥でしかないのです。
林檎が健康の立役者であることを主張するのは、勿論自由の外に
出ることではありませんが、糖尿病既往者からしてみれば、真っ赤
な嘘の果実が常識的な果樹に撓に実のっているだけに過ぎません。
葉野菜や菜野菜は別にしてみても、穀類を始めとした農産物の殆どが、
日常的に血管内壁を血糖値上昇を伴うカタチで攻撃する「きっかけ」で
在り続けてきたことに間違いはありませんし、結果的に糖尿病の発症の
引き鉄で在り続けていることに恐らくは間違いも見当たらないでしょう。
そんなこととは露知らず、只管に熱量の制限にばかりに意識を奪われて
は、闇雲に肉を忌み嫌い徹底的に脂質を排除し、穀類根菜に栄養の依存
を転嫁させてきた必然で起きてしまった此の国の糖尿病のパンデミック。
農業は人類にとって救いの神で在るどころか、人類という同種間の争い
の火種に過ぎなかったし、現在地球上で起きている飢餓の殆どが人類間
の抗争に端を発したものである以上、皮肉にも人類にとって救いの神で
あった筈の農業こそが、難民を生み出しては飢餓にまで陥れた張本人で
あるという現実に、複雑な思いを抱いてしまうのは私だけなのでしょうか。
咲き誇る美しい花が、やがて我が身への毒牙を孕むきっかけであろう
とは、何とも皮肉な現実でしかありませんが、常識的な認識の日常を
浅く見渡す限りでも、例えば、糖尿病治療のひとつをとってみても、熱量
の制限と薬剤で血糖値の収束が叶うと吹き込まれた際の華やいだ心境
が花が咲き誇る満開のピークだとして、其れ等はやがて、悪化という
毒牙に化けてしまうといった、身近な所にも皮肉は転がっているのです。
ほんのりメンバー
あいあるこぶし・・・
僕の好きな先生
私なんざが子供の頃は、親は勿論、担任か否かを問わずの教師
でさえも、体罰という仕打ちが極当たり前の時代の事でもありました。
アニメに有りがちな水入りバケツを両手に廊下に立たされる
だなんて可愛いほうで、あまりにも聴き分けがなかったりすると
頭部にゲンコツを喰らうだなんてのは日常茶飯事で、寧ろゲンコツ
を喰らう回数が多ければ多いほどクラスの英雄になれるといった何
とも不思議な特典付きであったことに間違いはありませんし、これ
また不思議なことに、幾らゲンコツを喰らったところで教師への
恨みが蓄積されるような感覚も一切湧き出ることも無かったのです。
当時は、先生にゲンコツを喰らってしまった事実を親に話そうもの
なら、親からも「こっ酷く」叱られてしまうのは至極当たり前の事でも
ありましたし、最悪の場合は父親からも再びのゲンコツを喰らう破目を
見るのも致し方ないという罪の意識が子供達側にも根付いておりました。
ですから、悪い事をしたのだから叱られるのは当然の報いだと子供
ごころにも感じておりましたし、鉄拳の制裁を受けたところで、其れ等
が逆恨みの材料になる事等は、先ず有り得ることも多分にありません。
あれから随分と時が流れた現在、教師からの体罰を受けたとあれば、
憤慨した親が学校に抗議するのが当たり前になってしまって、学校側
が体罰の問題に過敏になった結果、教師と生徒、ひいては大人と子供
の関係ですらが、無機質に成り果てたと感じるのは私だけでしょうか。
先ずは現在の教育現場の問題として、生徒を介して生徒の親に媚を
売るような手法の本末転倒は、生徒である以前に、子供という多感な
個人に悪影響を及ばすでしかないことの考慮に欠けている点でもあり
まして、親と言う虎の威を借りる狐を安易に作り出している罪の大きさ
たるや、大の大人であろうとも、恐らく償い切れるものではありません。
悪いことをした代償という苦痛を伴わずにして、育ち盛りの筈の自己
の感覚の成長など有り得ませんし、そんな環境でスクスクと育つのは
利己の感覚の成長のみであると言い切って過言ではないのでしょうか。
勿論、如何なる場合にも、子供に罪が無いことが殆どであることに
間違いはありませんし、親、教師、生徒(子供)の三点の内二点を
占める大人たちが大き過ぎる罪を犯していることに間違いはありません。
理不尽が過ぎる一方的な暴力や、親の身勝手に端を発した虐待等を
擁護する気の毛頭も有り得ませんが、私が子供だったころに受けた
制裁の拳には間違いなく愛が詰まっていた事だけは断言が出来ます。
子供だから無邪気な悪戯も許されてしまう部分とは相反して、子供
ながらにも、やり過ぎてしまったかも知れないといった罪の意識との
葛藤は、博識ある学者でも言葉にすることは難しい限りでしょう・・・。
しかしながら、愛ある拳の持ち主は子供ごころの中の罪の意識を
見事に見い出して、決して理不尽ではない罪に見合った代償として
の鉄拳を下すことで、互いに痛みを分かち合い、信頼関係を強固に
していく傍らで、勉強よりも尊い何かを教えてきてくれても居たのです。
いまでも本当に不思議なことに、連日のようにゲンコツをくださった
先生に積極的に関わろうとしていた記憶はあっても、避けたいと思った
ことは一度たりともありませんでしたし、友達と遊びたい気持ちは勿論
の事、ゲンコツを苦に、学校を休みたいと思った事は一度もありません。
私は、教育の専門家でも何でもありませんし、脚の速い子が運動会
でヒーローになれていた頃の方針が正しかったのかどうかの判断まで
は、「し兼ねる」以外に術を持ちませんが、鈍足必至の最下位の子で
はあっても、コース脇に御馳走を持ち寄って応援に駆け付けた親族達
にとっては、胸に労いで一杯の金メダルを掛けるに値する掛け替えな
きヒーローで在ることには間違いはありませんし、順位など付けて欲
しくはないといった理不尽な要求をする親に比してみても、此れこそ
が真に親が子へと注ぐべき愛情であるとしか言いようがないのです。
我々が子供の頃に受け続けた、愛のある拳の洗礼というものは、
人生と言うレースを走り抜ける為の試練だったのかも知れません。
どんなレースにも最下位の者が存在することも教えることなくして、
一体何を、教育と呼べるというのでしょうか・・・そして、レースの
参加者の全員が惜しみない拍手に値するほどの努力をしていることを
称賛するべきであることも示せずして、何を教育だと言うのだろうか。
私なんざが子供の頃は、親は勿論、担任か否かを問わずの教師
でさえも、体罰という仕打ちが極当たり前の時代の事でもありました。
アニメに有りがちな水入りバケツを両手に廊下に立たされる
だなんて可愛いほうで、あまりにも聴き分けがなかったりすると
頭部にゲンコツを喰らうだなんてのは日常茶飯事で、寧ろゲンコツ
を喰らう回数が多ければ多いほどクラスの英雄になれるといった何
とも不思議な特典付きであったことに間違いはありませんし、これ
また不思議なことに、幾らゲンコツを喰らったところで教師への
恨みが蓄積されるような感覚も一切湧き出ることも無かったのです。
当時は、先生にゲンコツを喰らってしまった事実を親に話そうもの
なら、親からも「こっ酷く」叱られてしまうのは至極当たり前の事でも
ありましたし、最悪の場合は父親からも再びのゲンコツを喰らう破目を
見るのも致し方ないという罪の意識が子供達側にも根付いておりました。
ですから、悪い事をしたのだから叱られるのは当然の報いだと子供
ごころにも感じておりましたし、鉄拳の制裁を受けたところで、其れ等
が逆恨みの材料になる事等は、先ず有り得ることも多分にありません。
あれから随分と時が流れた現在、教師からの体罰を受けたとあれば、
憤慨した親が学校に抗議するのが当たり前になってしまって、学校側
が体罰の問題に過敏になった結果、教師と生徒、ひいては大人と子供
の関係ですらが、無機質に成り果てたと感じるのは私だけでしょうか。
先ずは現在の教育現場の問題として、生徒を介して生徒の親に媚を
売るような手法の本末転倒は、生徒である以前に、子供という多感な
個人に悪影響を及ばすでしかないことの考慮に欠けている点でもあり
まして、親と言う虎の威を借りる狐を安易に作り出している罪の大きさ
たるや、大の大人であろうとも、恐らく償い切れるものではありません。
悪いことをした代償という苦痛を伴わずにして、育ち盛りの筈の自己
の感覚の成長など有り得ませんし、そんな環境でスクスクと育つのは
利己の感覚の成長のみであると言い切って過言ではないのでしょうか。
勿論、如何なる場合にも、子供に罪が無いことが殆どであることに
間違いはありませんし、親、教師、生徒(子供)の三点の内二点を
占める大人たちが大き過ぎる罪を犯していることに間違いはありません。
理不尽が過ぎる一方的な暴力や、親の身勝手に端を発した虐待等を
擁護する気の毛頭も有り得ませんが、私が子供だったころに受けた
制裁の拳には間違いなく愛が詰まっていた事だけは断言が出来ます。
子供だから無邪気な悪戯も許されてしまう部分とは相反して、子供
ながらにも、やり過ぎてしまったかも知れないといった罪の意識との
葛藤は、博識ある学者でも言葉にすることは難しい限りでしょう・・・。
しかしながら、愛ある拳の持ち主は子供ごころの中の罪の意識を
見事に見い出して、決して理不尽ではない罪に見合った代償として
の鉄拳を下すことで、互いに痛みを分かち合い、信頼関係を強固に
していく傍らで、勉強よりも尊い何かを教えてきてくれても居たのです。
いまでも本当に不思議なことに、連日のようにゲンコツをくださった
先生に積極的に関わろうとしていた記憶はあっても、避けたいと思った
ことは一度たりともありませんでしたし、友達と遊びたい気持ちは勿論
の事、ゲンコツを苦に、学校を休みたいと思った事は一度もありません。
私は、教育の専門家でも何でもありませんし、脚の速い子が運動会
でヒーローになれていた頃の方針が正しかったのかどうかの判断まで
は、「し兼ねる」以外に術を持ちませんが、鈍足必至の最下位の子で
はあっても、コース脇に御馳走を持ち寄って応援に駆け付けた親族達
にとっては、胸に労いで一杯の金メダルを掛けるに値する掛け替えな
きヒーローで在ることには間違いはありませんし、順位など付けて欲
しくはないといった理不尽な要求をする親に比してみても、此れこそ
が真に親が子へと注ぐべき愛情であるとしか言いようがないのです。
我々が子供の頃に受け続けた、愛のある拳の洗礼というものは、
人生と言うレースを走り抜ける為の試練だったのかも知れません。
どんなレースにも最下位の者が存在することも教えることなくして、
一体何を、教育と呼べるというのでしょうか・・・そして、レースの
参加者の全員が惜しみない拍手に値するほどの努力をしていることを
称賛するべきであることも示せずして、何を教育だと言うのだろうか。
二病息災
常識的統計の蚊帳の外に実在する不可抗力
>僅かな「1%」とはいえの低い確率に警戒せざるを得ない
と言いながら、
>アルコールの大量摂取に端を発した骨頭壊死症に於いては
>多発的な壊死を発症するといった症例が極めて希少なものである
ことを理由に飲み続けるのは、警戒していないことになるんじゃないか?
「原因の遮断」はどうしたんだよ
えっと、随分と日本語が苦手な方のようで、同情の余地もありません。
何をどう読めば、これほどまでに歪んだ解釈に至れるのか?!
当ブログ開設以来の最大の謎であることは勿論、どれほどまでに
私に恨みがあれば、御指摘いただいた項目を理論の綻びとしての
無理矢理で揚げ足をとるための材料にし得るのか測定が不可能な限り。
確かに「原因の遮断」が医療の基礎であることを普段からの口癖と
している私であることは認めざるを得ませんが、其れ等は、あくまで
も原因の確定に至っている場合であって、原因が曖昧でしかない憶測
でしかない可能性が残っているうちは、闇雲に「原因の遮断」に踏み
切ることはありませんし、違っていた場合の滑稽さも此の上ありません。
血糖値の上昇に関与する唯一無二の要素が糖質のみであるとの、
生化学上の変え難い事実を以てして原因であることの特定をした上で
糖質という血糖値上昇の「原因の遮断」に勤しむことはあっても、単
に嫌疑が掛かっているに過ぎない段階で、原因の確定を急ぐ程、私は
馬鹿ではありませんし、其れ等を原因の遮断と見なす事もないでしょう。
特発性大腿骨頭壊死症の発症要因として悪名高いステロイドの投与
までならまだしも、以降に続くアルコールの多飲や、そうでない場合の
発症例に関しては、成人以降の酒呑みの数が如何程か?!或いは飲酒
歴が皆無な人は如何程か?!の統計学の域を出ることのない限りなく
憶測に近いデータの集積に他ならず、アルコールの多飲そのものが、
骨頭壊死症の直接的な要因であることを確定するものではありません。
逆に考えれば、仮に、アルコール多飲が骨頭壊死症の要因に最たる
ものだとして、其の理屈からすれば、私なんかより大酒を喰らう漢の
全て・・・或いは極度のアルコール依存者の全員が骨頭壊死症を発症
しなければ辻褄が合いませんし、飲酒歴が皆無である方の発症例など
は勿論のこと、ステロンド療法の処方を余儀なくされてしまった全て
の患者が骨頭壊死を患うとは限らない現状に溜飲が下がらないのです。
つまり、特発性大腿骨頭壊死症の発症の要因の一環として考えられる
全ての要素は、あくまでも原因で「あるかも知れない」といった憶測
の域を出るものではありませんし、発症の直接的な要因どころか発症
までの作用機序の解明にすら至っていないからこそで、原因が不明の
限りでしか無いとして、特定疾患に指定されているに他なりません。
同じ量のステロイド投与、または同じ量どころか上回る酒量に於いて
も、ましてや発症の要因として仄めかされているだけに過ぎない両者
の何れにも身に覚えのない者にまで及ぶ大腿骨頭壊死症の発症は、
言うなれば同じ条件のなかでも発症に至ってしまうといった持って生
まれた宿命としか表現しようのない不可抗力なのではないでしょうか。
少なくとも現在までに確実に言えることは、条件の合致が完全に
噛み合うことがないのなら、発症の条件とされている要素の全てが、
憶測の域を出ることのない薄過ぎるにもほどがある灰色でしかないの
は勿論、慌ててステロイドの投与を中止したところで、壊死の阻害が
叶わなかった症例がある以上、確定されてない要因の中断を闇雲に迫
られることほど無駄な足掻きに他ならないし、馬鹿の踊りに過ぎません。
さて、御指摘をいただいた「警戒」に関してですが、日本語が苦手な
アナタらしい解釈には只管に呆れるばかりとはいえで、簡潔に補足を
させていただきますと、私にとっての「警戒」へのスタンスとは、酒
を断つことの前提以前に、痛みを我慢した結果で大腿骨頭の壊死の進
行はおろか、臼蓋部(きゅうがいぶ)にまで損傷が及んだ過去の教訓
から、妙な痛みや違和感を覚えたならの即座に精密検査を受けるとい
う意味を含んでいるだけでして、骨頭壊死症の発症の要因としては、
確定されるには遠過ぎるアルコールを断つことでは決してないのです。
そんな簡単な読解にも至れずに「我、綻びを見付けたり」とばかりに
肉付きの希薄が過ぎる枝肉に無闇やたらと噛み付いて、あたかも鬼の
首でも獲ったが如しで勝ち誇ったように振る舞う様は痛いにも程がある。
糖質のみが血糖値上昇に唯一無二で関与しているといった変え難い
事実と、統計学という曖昧な分野に頼るでしかない憶測の域を抜け
出ることのない発症の要因への根拠なき嫌疑の仄めかしでは、雲泥
の差が生じるどころか、月と海底ほどの差が開いてしまうと言って
しまっても過言ではないでしょうし、誰の目にも明らかな事でしょう。
原因としての根拠に乏しいばかりでしかないのなら、其れ等を原因と
して確定する必要も一切ありませんし、曖昧でしかない仄めかしとや
らを無闇やたらと制限してしまう行為ほど滑稽なことはありません。
何れにしろ、原因として確定する根拠が見当たらない以上、原因と
して遮断する筋合いなど、私には一切も無いことに変わりないのです。
と言いながら、
>アルコールの大量摂取に端を発した骨頭壊死症に於いては
>多発的な壊死を発症するといった症例が極めて希少なものである
ことを理由に飲み続けるのは、警戒していないことになるんじゃないか?
「原因の遮断」はどうしたんだよ
えっと、随分と日本語が苦手な方のようで、同情の余地もありません。
何をどう読めば、これほどまでに歪んだ解釈に至れるのか?!
当ブログ開設以来の最大の謎であることは勿論、どれほどまでに
私に恨みがあれば、御指摘いただいた項目を理論の綻びとしての
無理矢理で揚げ足をとるための材料にし得るのか測定が不可能な限り。
確かに「原因の遮断」が医療の基礎であることを普段からの口癖と
している私であることは認めざるを得ませんが、其れ等は、あくまで
も原因の確定に至っている場合であって、原因が曖昧でしかない憶測
でしかない可能性が残っているうちは、闇雲に「原因の遮断」に踏み
切ることはありませんし、違っていた場合の滑稽さも此の上ありません。
血糖値の上昇に関与する唯一無二の要素が糖質のみであるとの、
生化学上の変え難い事実を以てして原因であることの特定をした上で
糖質という血糖値上昇の「原因の遮断」に勤しむことはあっても、単
に嫌疑が掛かっているに過ぎない段階で、原因の確定を急ぐ程、私は
馬鹿ではありませんし、其れ等を原因の遮断と見なす事もないでしょう。
特発性大腿骨頭壊死症の発症要因として悪名高いステロイドの投与
までならまだしも、以降に続くアルコールの多飲や、そうでない場合の
発症例に関しては、成人以降の酒呑みの数が如何程か?!或いは飲酒
歴が皆無な人は如何程か?!の統計学の域を出ることのない限りなく
憶測に近いデータの集積に他ならず、アルコールの多飲そのものが、
骨頭壊死症の直接的な要因であることを確定するものではありません。
逆に考えれば、仮に、アルコール多飲が骨頭壊死症の要因に最たる
ものだとして、其の理屈からすれば、私なんかより大酒を喰らう漢の
全て・・・或いは極度のアルコール依存者の全員が骨頭壊死症を発症
しなければ辻褄が合いませんし、飲酒歴が皆無である方の発症例など
は勿論のこと、ステロンド療法の処方を余儀なくされてしまった全て
の患者が骨頭壊死を患うとは限らない現状に溜飲が下がらないのです。
つまり、特発性大腿骨頭壊死症の発症の要因の一環として考えられる
全ての要素は、あくまでも原因で「あるかも知れない」といった憶測
の域を出るものではありませんし、発症の直接的な要因どころか発症
までの作用機序の解明にすら至っていないからこそで、原因が不明の
限りでしか無いとして、特定疾患に指定されているに他なりません。
同じ量のステロイド投与、または同じ量どころか上回る酒量に於いて
も、ましてや発症の要因として仄めかされているだけに過ぎない両者
の何れにも身に覚えのない者にまで及ぶ大腿骨頭壊死症の発症は、
言うなれば同じ条件のなかでも発症に至ってしまうといった持って生
まれた宿命としか表現しようのない不可抗力なのではないでしょうか。
少なくとも現在までに確実に言えることは、条件の合致が完全に
噛み合うことがないのなら、発症の条件とされている要素の全てが、
憶測の域を出ることのない薄過ぎるにもほどがある灰色でしかないの
は勿論、慌ててステロイドの投与を中止したところで、壊死の阻害が
叶わなかった症例がある以上、確定されてない要因の中断を闇雲に迫
られることほど無駄な足掻きに他ならないし、馬鹿の踊りに過ぎません。
さて、御指摘をいただいた「警戒」に関してですが、日本語が苦手な
アナタらしい解釈には只管に呆れるばかりとはいえで、簡潔に補足を
させていただきますと、私にとっての「警戒」へのスタンスとは、酒
を断つことの前提以前に、痛みを我慢した結果で大腿骨頭の壊死の進
行はおろか、臼蓋部(きゅうがいぶ)にまで損傷が及んだ過去の教訓
から、妙な痛みや違和感を覚えたならの即座に精密検査を受けるとい
う意味を含んでいるだけでして、骨頭壊死症の発症の要因としては、
確定されるには遠過ぎるアルコールを断つことでは決してないのです。
そんな簡単な読解にも至れずに「我、綻びを見付けたり」とばかりに
肉付きの希薄が過ぎる枝肉に無闇やたらと噛み付いて、あたかも鬼の
首でも獲ったが如しで勝ち誇ったように振る舞う様は痛いにも程がある。
糖質のみが血糖値上昇に唯一無二で関与しているといった変え難い
事実と、統計学という曖昧な分野に頼るでしかない憶測の域を抜け
出ることのない発症の要因への根拠なき嫌疑の仄めかしでは、雲泥
の差が生じるどころか、月と海底ほどの差が開いてしまうと言って
しまっても過言ではないでしょうし、誰の目にも明らかな事でしょう。
原因としての根拠に乏しいばかりでしかないのなら、其れ等を原因と
して確定する必要も一切ありませんし、曖昧でしかない仄めかしとや
らを無闇やたらと制限してしまう行為ほど滑稽なことはありません。
何れにしろ、原因として確定する根拠が見当たらない以上、原因と
して遮断する筋合いなど、私には一切も無いことに変わりないのです。




